ダイレクトPCR法に利用可能な新型コロナウイルスを不活化する試薬を開発

1.発表者

田中 十志也
(東京大学先端科学技術研究センター 特任教授)
大澤  毅
(東京大学先端科学技術研究センター 特任准教授)

 

2.発表のポイント

新型コロナウイルスを簡便に不活化する試薬を開発し、検体輸送時の感染リスクを無くしました。
核酸抽出が不要なダイレクトPCR法(注1)に最適化されているため、医療従事者の安全を守るとともに、PCRを迅速に始めることが可能です。
試薬は有害な有機溶媒を含まず、また常温による保管が可能なため、医療従事者による取り扱いが容易です。

 

3.発表概要

東京大学先端科学技術研究センターの田中十志也特任教授と大澤毅特任准教授らの研究グループは、株式会社島津製作所ならびに株式会社医学生物学研究所とともに、世界初となるダイレクトPCR法に最適化された新型コロナウイルスの不活化試薬の開発に成功しました。ウイルス含有検体を当試薬で処理することでウイルスの感染能が失われるため、検体輸送者や医療従事者の安全が確保されます。また、当試薬中ではウイルス核酸(RNA)(注2)が安定的に、かつ、ダイレクトにPCRが可能な状態で保存されるため、検体受領後のPCR作業を迅速に行うことが可能となります。

 

4.発表内容

新型コロナウイルスに対するPCR検査の普及が進む一方、検体の採取者、輸送者そしてPCR従事者への感染リスクが問題となってきました。特に感染性検体の輸送を行う際には、検体中のウイルスの感染能を無効にする「不活化処理」が求められています。しかしながら、これまでに市販されているウイルス不活化処理液はダイレクトPCR法に対応しておりませんでした。そのため、ダイレクトPCR法の利用施設が検体輸送を行う際、検体の不活化処理を行わずに輸送が行われている現状がありました。またPCRの前処理作業においても安全策としてドラフト内での作業が必要とされてきました。

今回研究チームは、ウイルスエンベロープ(注3)の分解と検体中のRNA分解酵素の阻害を両立させる試薬成分の検討を行いました。その結果、検体混合後、5分間静置するだけで、ウイルス感染能を失わせるとともに、ウイルスRNAを安定的に保存する試薬の開発に成功しました。

ウイルス不活化性能は、「複数の細胞培養容器にウイルスを接種した際に、その50 %の培養容器で細胞変性効果が観察されるウイルス感染価」として定義される「TCID50」を指標に評価しました(図1)。TCID50力価が5.59x107(/mL)の猫伝染性腹膜炎ウイルス(FIPV;Feline infectious peritonitis virus, ATCC, USA)懸濁液に対して、4倍量の本ウイルス不活化試薬を混合してから常温で5分静置し、ウイルスの不活化処理を行いました。この時ウイルス不活化の対照試験として、生理食塩水でウイルス懸濁液を処理する条件を設定しました。不活化反応後の処理液はウイルスのホストとなるCRFK細胞(ATCC, USA)の培養に適した培地で1.00x101倍から1.56x105倍までの段階希釈系を調製した後、50 µLを96ウェルプレート上で接着培養したCRFK細胞へ添加して感染させ、37 ℃、5 % CO2の条件下で3日間培養を行いました。培養後、細胞増殖/細胞毒性アッセイキット(DOJINDO LABORATORIES, Japan)を用いて37 ℃、5 % CO2の条件下で2時間の呈色反応を行い、プレートリーダーInfiniteF200PRO(TECAN, Switzerland)で主波長450 nm、副波長620 nmの吸光測定を行って、細胞の生存活性を測定しました。得られた吸光度について、ウイルス非感染ウェルの平均値を基準として-5SD以下を「死細胞ウェル」とカウントし、下記の計算式によりTCID50算出しました。また、平行して顕微鏡による目視にてウイルス感染に伴う細胞の形態変化を確認しました。

計算式:TCID<sub>50</sub>を算出

 

結果、生理食塩水で処理した場合にはウイルス感染の成立を示す細胞変性が確認され、ウイルス感染力価が維持されていることが示されました。一方、本ウイルス不活化試薬で処理したウイルス液の場合にはFIPVによる細胞変性が見られず、感染能を有するウイルスが検出限界未満であることが示唆されました。なお、第三者施設によって新型コロナウイルスにおいても同様の結果を得ました。

化学処理された新型コロナウイルス粒子であるNATtrol SARS-CoV-2(ZeptoMetrix, USA)を核酸検出時に5.0×102コピー含むよう添加した唾液検体に対して、不活化剤を1:2, 1:4, 1:6の割合で混合し、70℃で5分処理した後、AmpdirectTM 2019-nCoV検出キット(島津製作所)を用いて新型コロナウイルスのN1遺伝子ならびにN2遺伝子に対するPCR試験を行いました(図2)。その結果、すべての混合比で目的の新型コロナウイルス遺伝子が検出できました。実際の使用時には1:4混合を推奨としますが、上記の混合比の範囲内で検出が可能です。
続いて本不活化剤で処理された唾液検体中の新型コロナウイルスRNAの安定性を評価しました(図3)。SARS-CoV-2を核酸検出時に5.0×102コピー含むよう添加した唾液検体を、等量のウイルス不活化剤と混合し、4℃、20℃又は37℃で 0、1、2、4、7日間静置した後、AmpdirectTM 2019-nCoV検出キットを用いてウイルスRNAを検出しました。その結果、4℃、20℃、37℃のいずれにおいても、7日間まで保管した場合にCt値に変化を認めなかったため、唾液検体と本ウイルス不活化剤の混合液におけるRNAの安定性を確認しました。
本試薬は、フェノールやクロロホルムなどの有害な有機溶媒やタンパク質変性剤であるグアニジン塩酸を一切含まず、常温保管も可能です。今回開発した試薬により、検体採取から輸送、そしてPCR作業までをシームレスに繋げ、安全、安心、かつ効率的に新型コロナウイルスの検査を行うことが可能となります。

本事業は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)が展開する「ウイルス等感染症対策技術開発事業」における「安全・効率的な大量感染症検査システムの構築とプール方式の実証研究」の支援を受けました。

 

5.研究に関する問い合わせ

東京大学先端科学技術研究センター
特任教授 田中 十志也(たなか としや)

 

6.用語解説

(注1)ダイレクトPCR法
試料から核酸を分離せず、直接的に標的の核酸をPCRにて増幅する方法です。核酸抽出の工程を経ないため、PCRの結果を得るまでの時間が大幅に短縮されます。

(注2)ウイルス核酸(RNA)
新型コロナウイルスの遺伝子である核酸はRNAで構成されます。核酸にはウイルスの複製に必要な遺伝情報が含まれています。

(注3)ウイルスエンベロープ
新型コロナウイルスは、最も外側にエンベロープと呼ばれる脂質二重膜の構造を有するウイルスです。エンベロープ上には感染成立に重要なタンパク質が存在するため、エンベロープを破壊することでウイルスの感染性をなくす(不活化する)ことができます。

 

7.添付資料

図1:猫伝染性腹膜炎ウイルス(FIPV)を用いた本試薬の感染能不活化効果の検討

図1:猫伝染性腹膜炎ウイルス(FIPV)を用いた本試薬の感染能不活化効果の検討
TCID50力価が5.59x107(/mL)のFIPV培養液に対し、4倍量のウイルス不活化剤を混合したのち、常温で5分反応させました。希釈系列を作製した後、標的細胞のCRFK細胞に添加し、3日間培養後に残存したウイルス感染力価を評価しました。その結果、本試薬で処理されたFIPVによるウイルス感染能は検出限界未満であることを確認しました。

 

図2:ダイレクトPCR法を用いた唾液検体と不活化剤の混合比の検討

図2:ダイレクトPCR法を用いた唾液検体と不活化剤の混合比の検討
NATtrol SARS-CoV-2(ZeptoMetrix, USA)をPCR時に5.0×102コピー含むよう添加した唾液検体に対し、不活化剤を1:2, 1:4, 1:6の割合で混合しました。70℃で5分処理した後、AmpdirectTM 2019-nCoV検出キットを用いて新型コロナウイルスのN1遺伝子ならびにN2遺伝子をリアルタイムPCRで測定を行いました。その結果、すべての混合比で目的の新型コロナウイルス遺伝子の増幅を確認しました。

 

図3:新型コロナウイルスRNAの安定性試験

図3:新型コロナウイルスRNAの安定性試験 化学処理された新型コロナウイルス粒子であるNATtrol
SARS-CoV-2(ZeptoMetrix, USA)をPCR時に5.0×102コピー添加した唾液検体と等量のウイルス不活化剤を混合し、4℃、20℃又は37℃で 0、1、2、4、7日間静置した後、AmpdirectTM 2019-nCoV検出キットを用いてウイルスRNAを検出しました。その結果、4℃、20℃、37℃のいずれにおいても、7日間まで保管した場合にCt値に変化は認められませんでした。

 

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